青山アパート...シャンゼリゼの誕生
 蔦や、小さな植物を、壁や廂に抱いた、青山アパートの壁面は、よく育ったケヤキ並木と共に、都市の中にあって、季節を感じさせてくれる。
 これは、日本有数の流行発進地(流通新聞や繊維新聞を持ちだして、実態は違うとおっしゃいますな)でありながら、低層住戸があるためにもたらされる、ある落ち着いた雰囲気があるからだ。深く景観に馴染んだそのファサードは、決して、強烈な自己主張をせず、いつも静かに佇んでいる。これが他の通りにはない特徴で、騒がしい流行発進地はいくらでもある。
 商業地区の大通りに面して、集合住戸が配されている、このような住み方こそが、実は都市に住まう基本なのだ。しかし、都会に住むことは経済原理では成立せず、政策なくしては不可能なことである。それは欧米も同様(前の欧米の都市住宅政策の法規を参照)。
 都市住宅政策の成果である同潤会の存在が、都市的景観を造りだし、日本のシャンゼリゼと呼ばれるのはあながちはずれてはいないのだ。
 しかし、シャンゼリゼと呼ばれる理由は、他にもあって、ご存知のように、道路勾配と並木にその秘密がある。また、通りの幅員の大きさが、名古屋的にオーバースケールに感じないのも同様で、シャンゼリゼと同じく丘に立てば、通りを一望でき、その眺望を楽しむことができるからである。
 そして、シャンゼリゼは、その終点の丘の上に、凱旋門がランドマークとして、中心的存在を誇示しているが、表参道はそれに相当するものが無い。ここが実は決定的に異なる点で、ロラン・バルトがいう中心の喪失なのである。あの遠くに低く小さくに見える神宮の森こそが表徴の帝国の依代で、シンボルのあり方が欧米と決定的に違うことを教えてくれる。これは日本にしかない、日本的都市景観と言えよう。決定的に違うことを教えてくれる。日本にしかない、日本的都市景観と言えよう。
 このシャンゼリゼ的通りを演出するアパートのセットバックや植栽の配置は、実は計画的に考案されたものではなかった。
 
▲原宿から青山・渋谷に抜けるこの辺り、今や若者たちの聖地(?)と化している。 ▲フェラーリがさりげなく止まる、表参道の同潤会アパート前。こういう組み合せもいいですね。