都市政策
 「たとえば、イギリスの住宅政策では、19世紀のなかばに下水道建設が開始されるが、日本の住宅政策は久しくこれを欠いてきた。また、日本の1919年法(劣悪住宅の建築を規制する都市計画法と市街地建築物法)にあたるものは、イギリスではすでに1851年にシャフツベリ法としてつくられ、しかも労働者階級のための住宅対策として明確に立法されている。さらに、ドイツの1902年のアディケス法やイギリスの1909年の住宅・都市計画法では、すでに住宅政策が都市づくりと不可分に追求される基礎がつくられたが、日本では今日までこのような政策を欠いている。」(百科)と言われる中で、同潤会は唯一都市型アパートとして、都市との関係を考慮して都市を成立させるサラリーマンを対象とした公共建築であったのだ。そういう意味で、欧化政策により造られた都市において、我々はまだ都市に住むということを、都市を成立させるマッスのレベルで体験も理解もしていない。それは欧米の都市に行けば一目瞭然だろう。そして、今のような定住人口がなく、住人の自治による都市でもないような「みやこ」は、伝統的日本の都市においてもなかった。従って、明治以降の都市政策の失敗としかいいようがない。
 そのため、経済的に厳しい若い家族などが都市に住むことはほとんど不可能で、これは経済力がないため、都市に住めないのではなく、都市政策がないためなのだ。

 同潤会はそのような歴史の中で唯一の政策的成果なのだが、RCで都市に集住するため、時代の先端をいく設備を設けた。
■スチールの玄関扉 ■電灯 ■水道 ■各戸の水流式便所(この時汽車式の和式便器が考案された)  ■ダストシュート ■屋上の洗濯場などなどである。
 また、居住者の年齢層を考慮し、子供の遊び場が設けられたりした。他の同潤会アパートでは、コミュニティーの場として集会所や娯楽室、共同浴場なども設けられた。これはコーポラティブ住宅的の考えを彼らが理解していた事を示している。また、木造家屋に馴染んでいる当時の人々のために、造作と建具は従来の木造家屋と同じ木が採用された。
 完全に洋式化しなかったのは、家具工業の未発達と、やはり畳が必須と考えたでためで、結果として、和洋折衷となったようだ。これも今の団地に至るまで踏襲されている。
どうですか?
 いかに我々の住戸が彼らの工夫と失敗の上に成立しているか判ろうというものです。

 
▲夏であれば大きく育ったケヤキ並木と壁面の蔦がとてもキレイ。(車上からの眺め) ▲かつては、このすべり台を使う子供たちもいたのだ。使った子供たちは今頃どうしているのだろう。